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【読書感想文】人はなぜ神経症になるのか
どうも、畜産ペンギンです。
お久しぶりです。
暫くサボってましたが、再開します。
我がヤクルトスワローズは今シーズン5位に終わった訳ですが、本当このチームは読めませんね。
どうしてこんなに強くなったり弱くなったりが激しいのか。。
大体中継ぎの強さで決まってる気はしますが。
さて、今回は、表題の読書感想文です。
目次
・どんな本?
・雑多な感想 ・まとめ |
どんな本?
皆大好きアドラーさんの本です。
神経症(鬱病・統合失調症・強迫観念等)について、どのように引き起こされるのかを心理学的な観点から考察された内容がまとめてあります。
まぁ人は自己正当化をする為に無茶苦茶な理屈を吹っかけてくるというなんとも情けない生き物だと教え込まれます。
「○○という障害さえ無ければうまく行くのに」とか甘えた事、皆思った事あるよね。
自分の能力不足と向き合い、克服するのは本当に大変な事だと。
雑多な感想
・神経症の原因
アドラーさん的には、神経症の根底には劣等感があると考えていたとの事。
ただ、適切に管理すれば能力向上、目標達成の動機付けになると。
うん、まぁそんな感じはするわな。
何故過度な劣等感を抱くようになってしまったのかというと、見た感じやはり幼少期の影響は大きそうな印象を受けました。
特に兄弟姉妹へのコンプレックスというのは強そうですね。
兄弟姉妹へコンプレックスが無い人は親に感謝するか自分の能力の高さを誇りに思った方が良さそうです。
ただ、現代ではこのような考え方はもう浸透している気がしています。
むしろ浸透しすぎて、子供の頃はあまりに過保護にされ自立出来ない、大人になって初めて劣等感を感じた為耐性が無く立ち直れないみたいな問題が大きくなっている気がします。(気がするだけだけど)
親が子供の問題や挑戦から過度に守ろうとする事を「ヘリコプター・ペアレンティング」という現象として取り上げられたりもしているみたいです。
まぁ当然、自立心が欠けたまま成長してしまうという事が起きる訳ですね。
事実、このような教育により、非常に臆病で自身では何も解決できず、常に周りを頼るようになってしまったという症例もあるようで、
面白いと言ったら不謹慎かもしれませんが、自身で何も解決出来ないかわりにどうやって人から助けを得るかの能力は発達していったそうな。
本の中で「王としての乞食」という見出しが付いていたのはちょっと笑った。
・劣等感からの逃避
劣等感はやはり受け入れ辛く、様々な形で人は対処を試みる。
それが自己能力の向上等、劣等感からの解決に向かう物なら良いのですが、どうしても逃避行動を取ってしまう事もしばしば。
「明日会社爆発しないかな~」とか冗談で言う事もしばしばあると思っているが、良い例。
ちょっと行きたくない事があっただけでこんな理不尽な事を人は願う。
それだけ劣等感というのは受け入れ辛い。
これは冗談の範疇だが、現実に取ってしまう行動も色々ある。
あまりリアルな内容を紹介すると心を抉りすぎてしまうのでポップなので言うと、厨二病等も当てはまるだろう。
現代の価値観で有用とされている頭脳・身体能力・容姿等に劣等感を感じている為、
妄想の中で現実的に使用されない能力が優れているとか、霊感アピールとか競争相手が居ない所で自分の優越性を示そうとする。
・劣等感への対処
どうしたら劣等感を受け入れ、逃避せず対処出来るかと言うとやはり人それぞれという結論にはなると思う。
プラクティス的にまとめるのであれば、自身を受け入れる事・小さな成功を祝う事・現実的な目標設定・信頼出来る人とのコミュニケーション等が挙げられるが、そう言われても中々実際自分の中で対処行動として落とし込むのは中々難しいだろう。
結局自分で見つけるしかなく、対処が難しいから現代まで問題として残っている訳であって。
畜産ペンギン自身も過去に劣等感からの逃避行動を取る事は何度もあり、逆に今は対処出来るようになった方法論もいくつかあるにはあるが、偉そうにそれを紹介しても共感は得られないだろうし恥ずかしいし特に紹介はしません。
カウンセリングする立場で考えると、信頼を得るという事はまず前提として必用になってくるだろう。
ただ、これがまた難しい。
結局人それぞれ価値観が違うし、相手に合わせて共感を装ってもやはり相手も馬鹿ではないので透けて見える。
価値観が近しい人に頼む、というのは一つ有効な手段になりえると思う。
また、やはり立場が同じ人間の方が効果的であるとは思う。
カウンセラー、親、教師、上司の立場から言っても「その立場だからそう言ってるんでしょ」というフィルターはどうしてもかかる。
事実その通りな側面もあり、「あなたの為を思ってる」等恥ずかしい事は言わず、自分の思い通りにしたいから言っているという一定の自覚は必用と考えてます。
結局、相手の人生なのだから、どうするかは相手の自由であり、そもそも手助けを求めていなければ手助けする事自体が余計なお世話でしかない。
偉そうにカウンセリングする前に、まず自分が相手の考えを尊重出来るようになれという話である。
・劣等感を感じ無い事の危険性
劣等感への対処について上記で主に語ってきましたが、劣等感が無いというのも困りものですというお話。
「人がどうであろうと自分は自分だから」と言う気持ちを強めに持っている人でも、一定は人と関わって生きていく能力が無いとまともに自己を保って生活出来ないでしょう。
極端な話、公共設備等も一切使わず天涯孤独で山ごもりの生活をしている人でも、それをある日取り上げられる危険性は常にある。
法改正なり戦争により植民地にされるなりで、突如取り上げられて共同体の中で強制的に仕事をして下さいと言われても、適応は困難だよねと言う。
まぁ少し極端すぎて現実感が無い例ですが、時間と共に取り巻く環境は変化して行きますし、加齢によって求められる能力も変わって来る。
劣等感がなさ過ぎる余り、変化していく環境・ニーズに適応できず気付いたら1人ぼっちになっていたよという恐れはあるのかなと。
ただ、近年「あるがままの自分を受け入れて欲しい」というニーズは強まっている気がするし、社会も多様性を受け入れる余裕が昔に較べれば出てきているんじゃないかって気がしてます。
ニーズがあるので、自分がただあるがままで居ても、社会の優秀な人達がそれを許容出来る枠組みを作ってくれる気がしないでもない今日この頃です。
まぁそれに頼り切って何もしないのは楽観的過ぎると思いますが、作ってくれたらちゃんとお礼を言いましょう。
何かの本で、将来的には一部の優秀な人達が世界をコントロールして、大半の人達が食料と、薬物による多幸感だけが与えられる世界になるみたいなのを見た気がしますが、割と現実的かもです。
まとめ
神経症どうこうというより劣等感どうこうの話になりましたが、まぁまず劣等感という物は諸刃の剣なのだという事、
そしてコントロールが非常に難しいという印象を受けました。
薬物や電気信号でコントロール出来るようになる日が来るかもしれませんが、それはそれで味気ないと思ってしまうのも人間の面倒くさい所ですね。
まぁ現段階ではそのような手法は確立されていないので、自分なりにコントロール出来るようになれば優位に立てるんじゃないかという劣等感を起点とした考え方をしてみたり。
なんとなくで言うと、過去の失敗や自分の劣等感を笑いながら話せる人間になれたら幸せそうとは思います。
おしまい。
結びのメッセージ
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